庭のあり方 高3 ボーロ
公園は見るためだけのものではなく、共同の広場として使えるようにするべきだ。
そのためには何のために公園があるかという目的を考えることだ。身近な例で考えてみよう。私は最近、祖父母にきれいな便箋をもらった。異なるくまのプーさんの絵が描かれた便箋は思わずとっておきたくなってしまう。しかし、便箋の目的は手紙を書くことだ。取っておいて飾るためのものではない。
反対にとっておくと宝の持ち腐れになり、元々の目的に使われなくなり、飾り物になってしまう。公園も同じだろう。公園とは人が交流し、時間を過ごし、楽しむ場所である。ただの無駄な土地にならないよう公園の目的を明らかにし、交流やレジャーのために使うことが大切だ。
また、もう一つの方法は実際に多くの人が公園を活用する機会を作ることだ。今の公園はほとんどの場合、子供しか使用しない。しかし、もっと広い範囲の人が使用したら公園は見るものから使われるものに変わるだろう。こちらも、身近な例で考えてみたい。
数週間前、私は友達と近くの丘にソリ滑りに行った。遊んでいるのは、私たち高校生を除くと、平均年齢が10歳ぐらいの子供たちだった。しかし、私たちは自分たちの年齢とは関係なく、楽しい時間を過ごすことができた。高校生が楽しんでいるのを見たからか、それまで見ていた小さい子の親たちがソリ滑りを始めた。このように実際にやってみる機会が与えられるとより多くの人が使用する。そして、見るものから使うものに変わる。大は小を兼ねるという。いつまでも小を選んでいてはいけないということだ。
確かに見るだけの庭園の良さもある。しかし、公園は生活の中で生きたものになることが求められる。花と団子どちらも楽しめる公園を理想とするべきだ。
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